現ニッカウヰスキーの創業者 『 ジャパニーズウィスキーの父 』 竹鶴政孝氏が
1920年に単身スコットランドに渡り、ウイスキー造りを学んだキャンベルタウンでの実習報告を
まとめたノート、、、知っている方も多いかと思います。。
そう、、いわゆる
竹鶴ノートです。。。

2004年に創業70周年記念ウイスキー『ザ・ニッカウヰスキー ピュアモルト35年』(今では超レア)
というボトルが限定500本のみ発売された時に付いていたものです。。 もちろん、
非売品。。このノートには達筆、かつ丁寧な字で、事細かく製造工程がギッシリ書かれております。
ポットスティル等のイラストも忠実に書かれていたり、当時では貴重であったであろう写真も
丁寧に添付されています。。
このレプリカは、見つかった当時の状態で再現されており、
写真の古めかしい感じやノートの染み等々、まるで本物のような感じです。。
当然です、、だからレプリカって言うんですからxx・・・思うんですが、、偉人になるような方って知ってる限りですが、、
達筆の方が多いんだよな。。 愚主にはなれませんなxx
いや、、なってるか、、、異人に・・・

読んでみたい方は愚主に言って下さいな、、ウヰスキーに詳しくなくとも楽しめるノートですよ。。
こんな話も・・・
1962年、イギリスのヒューム副首相が来日した際、
『 一人の青年が万年筆とノートでウイスキー製造技術の秘密を全部盗んでいった 』
という意味の発言をしたと言われている。 もちろんこれは竹鶴に対する賞賛であった。
このとき話題に出たノート(竹鶴ノート)はしばらく所在不明であったが、
のちに竹鶴が当時所属していた摂津酒造(1964年10月、宝酒造に合併された)
関係者の子孫が保存していることが分かり、ニッカウヰスキーに寄贈された。
竹鶴政孝氏の酒量は御眠りになるその時まで毎日ウイスキー1本飲んでいたそうな。。
なんとも、、愚主も身体のこと考えて飲んでる場合じゃないなxx
いや、いや、いや、、、無理ですxxx
さすが、、偉人って方は何もかもが違います。
比べちゃいけませんxxx
いずれれにせよ、、今、ウヰスキーをこうして呑めるのも
竹鶴政孝様のおかげ。 足を向けては寝れません。。 Wikipediaより
竹鶴 政孝(たけつる まさたか、1894年6月20日 - 1979年8月29日)は、
広島県竹原市出身の日本のウイスキー製造者、技術者。会社経営者。
ニッカウヰスキーの創業者であり、『日本のウイスキーの父』と呼ばれている。
竹鶴という名前は、家の裏にあった竹林に鶴が巣を作ったことから由来している。
1929年、鳥井信治郎に招かれ寿屋(現在のサントリー)山崎蒸溜所初代工場長として、
日本初の本格スコッチ・ウイスキー製造を指揮。その後、より本格的なスコッチの製造を指向して
大日本果汁(現在のニッカウヰスキー)を興した。
あくまでも品質にこだわり続けた技術者として知られる。
Posted by ぴの
あ~、こんどぜひ読ませてください!!
こういうの、実はツボ

なんです。。
Posted by CASK愚主
>ぴのさん
そうですか、、1920年の時にフレックス的なことをすでに行なっていたりとか
ウヰスキーの製造に関すること以外もいろいろと関心するような内容満載なノートです。。
また、活字でなく直筆なところが説得力が増すのです。。
是非、読んでみてください。